2009年3月31日

エリザベス1世はよき時代にいきた

エリザベス1世(Elizabeth I, ユリウス暦1533年9月7日 - グレゴリオ暦1603年3月24日)、イングランドとアイルランドの女王(在位:1558年 - 1603年)。テューダー朝最後(第6代)の女王。当時弱小国家であったイングランドの独立を維持し、「よき女王エリザベス」と慕われた。
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エリザベスは父の政策を踏襲して再び「国王至上法」を発令、「礼拝統一法」によってイングランド国教会を国家の主柱として位置づけた。1569年にはカトリックを信仰する北部諸侯の乱を鎮圧し、1570年に教皇ピウス5世から正式に破門宣告された。以後エリザベスは何度となく、国内のカトリック勢力による暗殺の危険にさらされた。一方、この時代にはフランシス・ドレークやジョン・ホーキンスなど優れた航海士が生まれた。
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1568年、フランス育ちでかつてフランス王フランソワ2世の妃でもあったスコットランド女王メアリーが、スコットランドの内紛でイングランドへ逃げ込んでいた。始めは賓客扱いであったが、メアリーはイングランドに18年半滞在した後、北イングランドで処刑される。エリザベスはメアリーを処刑したがらなかったが、側近達が生かしておくには余りに危険な存在であると主張したのである。メアリーは伯母マーガレット・テューダーの孫であり、イングランド王位継承権を持っていたためである。

カトリック教徒だったメアリーの死後、スペインとの対立が深刻化した。財政難を補うため私掠船に掠奪許可証を与え、植民地から帰還途上のスペイン船を掠奪をさせていたことも理由の一つである。こうして1588年、ついにスペイン無敵艦隊の侵攻を受ける(英西戦争)。イングランドの艦隊は必ずしも盤石ではなかったが、海賊上がりのドレーク提督以下、機動力の高い小型艦と射程距離の長い大砲を駆使し、アルマダ海戦において無敵艦隊を倒し大勝利を収めた。スペイン海軍は嵐にも巻込まれ、スペインに戻ることができた軍艦はほとんどなかったと言う。このアルマダ海戦での大勝利以後、スペインに代わりイングランドが世界貿易を一手に握るようになっていく。

晩年は「囲い込み」によって発生した大量の難民に対処しきれず、発布した「エリザベス救貧法」も効果がなかった。また、対スペイン戦やアイルランドの反乱鎮圧のために軍事費が増大して、社会不安が増加した。逼迫した財政立て直しのため独占許可状を乱発するも、議会の猛反対にあい、やむなく撤回するはめとなった。しかし、この際の演説は「黄金のスピーチ」として今も語りぐさである。

文化的にはエリザベスの時代、ウィリアム・シェイクスピアを始めとする文筆家を多数輩出して一大文化を築いた。

1603年3月、後継者にスコットランド王ジェームス6世(メアリーの息子)を指名し、崩御した。
(ウィキペディアより引用)

女帝ってどんな感じなのでしょうね。やっぱり気分が良いものなのでしょうかね。